やってはいけないいじめ対策
大津の事件以来,いじめに対してたくさんの人が様々な意見を述べています.議論が活発になって,たくさんの人がいじめ問題を真剣に考えるのは良いことです.いじめの問題は,人間の暗部の感情に根ざした,解決がとてもむずかしい問題ですから,これといった一つの正解があるわけではなく,様々な対策を試行錯誤しながら試していくしかないでしょう.
しかし,これまでの経験の蓄積や,大津の事件を見れば,いじめの対策としてやってはいけないことはいくつか明らかになってきていると思います.その「やってはいけないこと」をまだ推し進めようとしている人がいます.代表的なのが,下記の記事にあるワタミ会長の渡邉美樹氏です.
ワタミ会長 いじめ発覚なら担任教師の給料下げるべきと提案
https://www.news-postseven.com/archives/20120816_136874.html
この中で渡邉氏は,いじめの芽を摘むのは教員の責任であり,それが出来ないのは教師の能力が足りないか,やる気が足りないかであると断じています.だから,いじめの発生を許した教師の評価は下がるべきで,それが給与に反映されるべきである,と.
大津の事件を見れば,上記のような対策がいじめの根絶に全く効果が無いどころか,悪影響を与えるのは明らかです.大津の事件では,いじめがあることを周りの生徒や学校関係者が把握していながら,学校はいじめの存在を隠し続けて必要な対策を取らず,警察は被害届を受け取らないという状況の中で,逃げ場を失った被害生徒は自ら命を絶ちました.
いじめを隠蔽する理由
なぜ学校はいじめがあることを知っていながら必要なアクションを起こせなかったのか.それは学校評価,及び教員評価と大きな関係があるでしょう.「学校評価表」や「教員評価表」でググるとたくさんの評価表や評価結果が検索結果に出てきます.一部の評価表には,「問題行動発生件数」などの項目があり,ここに件数を書き込むと,それが自校/自身の評価に直結するわけです(ですから,渡辺氏が言っている,いじめの発生を許した教師の評価は下がるべき,という主張に対応する制度が既にあると言えます).さらに,学校評価の結果は基本的に公表することになっています.
(3)自己評価及び学校関係者評価の評価結果の公表、情報提供
○ 各学校は、自己評価・学校関係者評価の結果と、それらを踏まえた今後の改善方策について、学校便りへの掲載、PTA総会の活用、学校のホームページや地域広報誌への掲載などにより、広く保護者や地域住民等に公表する。出典:「学校評価ガイドライン[平成22年改訂]」https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/07/12/1323515_2.pdf p.63『「学校評価ガイドライン〔平成22年改訂〕」の概要』より抜粋
学校評価には,自己評価,学校関係者評価(保護者や地域住民などによる評価),第三者評価(学校運営に関する外部の専門家を中心とした評価者による専門的評価)の三種類があり,詳しくは学校評価ガイドラインを一読頂きたいのですが,その評価項目はガイドラインに例示されています.いじめに関係するのは下記の部分です.
〔評価項目・指標等を検討する際の視点となる例〕
○ 各学校や設置者において、評価項目・指標等の設定について検討する際の視点となる例として考えられるものを、便宜的に分類した学校運営における12分野ごとに例示する。出典:「学校評価ガイドライン[平成22年改訂]」 p.47
■ 生徒指導
(中略)
・(データ等)問題行動の発生状況出典:「学校評価ガイドライン[平成22年改訂]」 p.49
生徒の問題行動,すなわち暴力やいじめの発生状況が評価項目として記載されています.あくまで,ここで示されているのは例であり,この項目を実際に採用するかどうかは各学校や教育委員会に委ねられているようですが,実際にいじめがあったということが表沙汰になれば,学校評価に記載しないわけにはいかないでしょう.少子化が進む中で,学校選択の自由が推進されている昨今,学校の評価が落ちることは,生徒数の減少に直結します.また,教員評価と併せて,教員自身の評価が下がることにもつながります.
このような状況であれば,いじめを表沙汰にしたくないと考えるのは,ある意味,しょうがないのかもしれません(教育者としては失格でしょうが).いじめに対して十分な措置が取られずに深刻化してしまうのには,このような評価システムの負の側面が一因として挙げられます.
では,評価をすること自体を止めるべきでしょうか?学校評価ガイドラインでは,評価の目的を下記のように定めています.
1 学校評価の目的
(中略)
1 各学校が、自らの教育活動その他の学校運営について、目指すべき目標を設定し、 その達成状況や達成に向けた取組の適切さ等について評価することにより、学校として組織的・継続的な改善を図ること。
2 各学校が、自己評価及び保護者など学校関係者等による評価の実施とその結果の公表・説明により、適切に説明責任を果たすとともに、保護者、地域住民等から理解と 参画を得て、学校・家庭・地域の連携協力による学校づくりを進めること。
3 各学校の設置者等が、学校評価の結果に応じて、学校に対する支援や条件整備等の改善措置を講じることにより、一定水準の教育の質を保証し、その向上を図ること。出典:「学校評価ガイドライン[平成22年改訂]」 p.2
評価の目的としては,至極当然の事が書いてあります.特に近年では,学力低下や,教員としての資質に欠けるようないわゆる「問題教師」の放置に対する対策としての意味合いも強いのでしょう.評価,つまり現状の把握なしに改善はできませんから,評価を行うこと自体は必要だと考えます.評価の方法としても,自己評価だけでなく,関係者評価,第三者評価を導入して透明性・妥当性を高めようとする流れは間違っていないでしょう.
問題なのは,いじめの発生状況が評価項目とされている点です.文科省は毎年,「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」を実施しています.この調査の項目は次のとおりです.
2.調査項目(調査対象)
(1)暴力行為(国公私立小・中・高等学校)
(2)いじめ(国公私立小・中・高・特別支援学校)
(3)出席停止(公立小・中学校)
(4)小・中学校の不登校(国公私立小・中学校)
(5)高等学校の不登校(国公私立高等学校)
(6)高等学校中途退学等(国公私立高等学校)
(7)自殺(国公私立小・中・高等学校)
(8)教育相談(都道府県、指定都市、市町村教育委員会)出典:平成22年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」について p.1
https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/08/__icsFiles/afieldfile/2011/08/04/1309304_01.pdf
項目2のいじめの章には,平成22年度の調査結果や調査の経年変化が示されています.
例えば,中学校であれば,H22年度は全体で55.7%の学校がいじめを認知しており,その数はH18年度以降,ゆるやかに減少しているという調査結果になります.実際に減少しているかはさておき(いじめが見つけづらくなっていて調査結果に現れていない,生徒数が減少している,などの要因が考えられる),半数以上の学校がいじめを認知したと報告していることに注目すべきでしょう.もし,いじめの発生/認知そのものがペナルティの対象であるならば,半数以上の学校がその対象となることになります.
なお,「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査-調査の概要」 https://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/shidou/gaiyou/chousa/1267368.htm によれば,これは統計調査であって,各学校ごとの結果は公開されません.つまり,どの学校でいじめが何件起きたかというのは公表されないという,学校名が匿名となることが前提の調査です.そのため,学校評価報告と比較すると,格段に正直に回答しやすいと考えられます.ただし,集計を中間で担っているであろう教育委員会には,学校名と件数が紐付いて報告されているかもしれませんので,完全に匿名とは言えないかもしれませんが.
一方で,学校評価ガイドラインでは,実施した調査は公表する事になっており,調査項目は基本的に学校が定めます.そのため,いじめの認知という項目を自ら立てて調査を行い,その結果を報告している学校は稀です.その結果,少なくとも55.7%の中学校がいじめを認知しているにもかかわらず,学校評価報告書には現れてきません.しかし,もしいじめがあったことが表沙汰になれば,自己評価で扱わなくとも関係者評価や第三者評価でつつかれる可能性が生じる.だから,学校評価結果に記載しなくてもいいように,いじめがあったとは決して言わないという構図が浮かび上がってきます.
いじめはどの子どもにも,どの学校においても起こり得る
さて,ではこの負のスパイラルをどのように解決することができるでしょうか.文部科学省はいじめに対する取り組みの基本的認識を次のように示しています.
I. いじめ問題に関する基本的認識
○ いじめについては、「どの子どもにも、どの学校においても起こり得る」ものであることを十分認識するとともに、特に、以下の点を踏まえ、適切に対応する必要があること。
(以下略)出典:学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06102402/002.htm より
いじめはどの子どもにも,どの学校においても起こり得るとしています.この点に私も全く同意します.いじめは好悪や軽蔑といった人間が持つ基本的な感情が噴出した結果です.良識があるはずの大人社会でも起こり得るものが,善悪の判断がつきにくい子どもの世界で起こるのは半ば当然と言えます.
ですから,いじめの「発生」を学校や教員の責任と捉えるのはおかしい話です.問題にされるべきは,いじめが起こっているのに何も出来ない学校や教員であるはずです.「あの学校はいじめが起こったから子どもを行かせたくない」ではなく,「あの学校はいじめが起きても対処できないから子どもを行かせたくない」もしくは,「あの学校はいじめが起きてもきちんと対処するようだから安心だ」というように,いじめに対する対処をきちんと行なっているかどうかを,評価軸とすべきです.我々学校を評価する側も認識を改める必要があるでしょうし,文科省も自らのいじめの定義の,世間一般への浸透をもっと図るべきです.
もしかたら,文科省は,いじめが起こるのはしょうがないことだから,学校評価報告に載せるのは特に支障はないと考えているのかもしれません.しかし,冒頭の渡邉氏の記事にもあるように,世間一般のいじめに対する考え方は,まだそこまで行っていないように思います.いじめの発生件数が評価結果として記載されていたら,件数が多い=良くない学校というように,世間は見るでしょう.
ですからまず,学校評価報告においては,いじめの発生件数を評価の項目とするのではなく,いじめへの対応状況を(良い指標として)報告させるべきだと考えます.「あの学校は様々な対策を立てていじめを早期発見し,解決している」と世間が見るように,報告をする学校側が正直に回答しやすく,回答しても学校評価がマイナスにならない形で.さらに,いじめの発生そのものが教員や学校の責任と捉えられないよう,率先して世間の理解を求めなければいけません.例えばすぐにできるものとして,文部科学大臣が会見を開いて,文科省としてのいじめの考え方,対策を国民に向けて説明するとか.なぜこれぐらいのことをすぐにしないのかが逆に分かりません.
それでも一方で,起きたいじめにうまく対策出来なかった学校が,いじめそのものがなかったとして隠蔽を図るかもしれません.このケースへの対処は非常に難しいと思いますが,まずは,関係者評価や第三者評価がうまく機能するような仕組み作りが必要でしょう.例えば,業績が悪い会社の粉飾決算を監査法人が見抜くように出来れば良いのかもしれません.さらに,いじめられていると感じた生徒が逃げこむ先の確保,いじめの傍観者への通報手段の確保などと組み合わせて,いじめの事実をできるだけ早く表出化させ,早期の対策を取れるような仕組みを考えなくてはなりません.
先日,民放のニュース番組で野田総理が目を潤ませながら,いじめられている子はできるだけ早く大人に相談して欲しい,また,いじめを見つけた子も大人に報告して欲しい,というような趣旨のことを話していました.それはそのとおりだと思いますが,それだけでは不十分ですよね.助けを誰に求めて良いか分からない,助けを求められる大人が周りにいない,という場合が問題なのであって,それに対する解決策を我々は考えなくてはなりません.
子どもが相談/報告しやすく,教員も相談を受けやすい環境を整備し,子どもに信頼出来る大人へのアクセスの手段を与える具体的な方策を,知恵を絞って考えていかなくてはならないと思います.
Comments
“いじめの「発生」は学校/教員の責任ではない” への1件のコメント
クラス分け会議の時に、ずるい年配の先生は良い子だけとって、悪い子は押し付けられる。
ワタミは馬鹿だからそんなこともわからない。
主幹には逆らえないのさ。