査読付き論文でも、中身をきちんと確認しないと引用するのは危ないという例

 少し前の話ですが、某所で研修を受けたときの感想を忘れないうちに書いておこうかと。ジェンダー・エクイティの達成を目標とした研修で、性差にもとづく不公正の是正を念頭に、ジェンダー・バイアスへの気づきを促す内容でした。

 エクイティは日本語にしづらい単語だと思いますが、近年、DEI (Diversity, Equity, Inclusion) の考えが浸透しつつあり、聞く機会が多くなってきたように思います1。あえて日本語で表現すると、公正性と表現するのが適当でしょうか。equality(平等性)との違いは下の図が端的によく表現しています。

Attribution: Interaction Institute for Social Change | Artist: Angus Maguire. CC BY-SA 4.0

人それぞれが置かれた境遇は様々なため、誰に対しても平等な扱いをする(equality)のでは不十分であり、様々な環境、境遇においてハンデを背負っている人たちでも、それらハンデを乗り越えて同じところまで到達できる(equity)ような社会のあり方を目指す、というような考え方、と理解しています。教育の分野でも equity は長く議論されているイシューで、国や地域による教育環境の違い、家庭の収入、人種、性別など、本人がコントロールできない要因によって教育上不利な立場に置かれてしまう状況を是正するための様々な施策が研究され、実施されています。

 さて、研修そのものは新たに学んだことや再認識させられた事柄もあり、有意義なものだったのですが、一点、気になる研究結果の紹介がありました。それが、「好意的差別」についての話でした。初めて聞いた単語なので調べてみると、Ambivalent Sexism Theory(両面価値的性差別理論)という、社会心理学者の Peter Glick 、 Susan Fiske が1990年代後半に提唱した理論の一部をなす概念でした。両面価値的性差別理論とは、性差別は2つの要素、hostile sexism(敵対的差別)と benevolent sexism(慈悲的差別、善意的差別、好意的差別)から成るという理論です。理論が考えられた時代背景的に、差別は男性から女性に対して行われるものを念頭にしていたようです。敵対的差別はその名称の通り攻撃的な差別を指し、男性が女性を無能、非知性的、感情的などと無根拠に評価する偏見的差別です。一方、慈悲的差別は、一見、優しさや好意に見えるような差別で、

例えば、男性が同僚女性に「かわいい」と言った場合、それがどんなに良かれと思って言ったことであったとしても、プロフェッショナルとして扱われているという彼女の気持ちを損なうことになりかねない (Glick & Fiske, 1996)

と、Glick and Fiske (1996) は例を提示しています。この論文では、慈悲的差別を生む3つの要因として、以下の3点を提示しています。

  • Paternalism(父権主義)に基づいた独善的な女性保護思想:女性は弱いものであるから男性が守らなければいけない
  • Competitive gender differentiation(競争的性差)やComplementary gender differentiation(補完的性差)に基づいた男性優位思想:女性を男性より下に見ることで自尊心を満足させる、または、女性は男性を補完するものとみなす
  • Heterosexuality(異性に対する愛)に基づいた両面的女性観:女性に心理的な親密さを求める欲求と女性を支配したいという願望の両面的女性観

 このような思想にもとづいた行為の結果として、たいして体力が必要ない仕事でも女性には向かないと判断してその仕事は割り振らない、とか、子育て中の女性には本人の意向を聞く前から重い仕事は割り振らない、などの差別が生じます。これらは、上述の差別的な考えに基づいているものの、表面的には差別には見えず、

どちらも伝統的なジェンダーの役割を前提とし、家父長制的な社会構造を正当化し、維持する役割を果たしている。 (Glick & Fiske, 1997)

ことから、女性の社会的地位を下げ、自由を制限する枠組みとして機能します。このような差別が存在することや、この理論については異論はなく、納得するところです。

 ただ、研修の中で、この理論に基づいたある論文が引用されており、それがとても引っかかる内容でした。女性の学生が「差別なし」、「敵対的差別」、「好意的差別」の3種類のいずれかの発言を向けられた後に特定の課題を遂行する実験において、「好意的差別」発言を受けた学生群が最も正答率が低く、回答時間も長く要したという結果を示し、相手を褒めようとしている発言でも、マイナスの影響を与える可能性がある、とまとめていました。また、好意的差別の発言例として、「女性は趣味がよいし品行方正」、「女性は上品できちんとしている」の2文が、敵対的差別の発言例として、「女性は特別扱いされたがる」、「女性はすぐに腹を立てる」の2文がスライド上に記載されていました。

 第一感は、え、本当ですか?でした。この程度の発言を受けただけで、課題の遂行に影響が出るでしょうか。どういう設定で実験を実施し、どのように上記の結論を導いたのか、とても興味があるところなので、下記の原文をあたってみることにしました。

Dumont, M., Sarlet, M., & Dardenne, B. (2010). Be Too Kind to a Woman, She’ll Feel Incompetent: Benevolent Sexism Shifts Self-construal and Autobiographical Memories Toward Incompetence. 545–553. https://doi.org/10.1007/s11199-008-9582-4

 論文に示された実験の手順は次のとおりです。

  • 被験者は45人のベルギー人の女子学生。大学内の様々な場所で集められ、年齢は平均値21.8、標準偏差1.65の範囲。14人が非差別、16人が敵対的差別、15人が慈悲的差別に群分けされた。
  • 被験者は、2つの実験に参加すると告げられた。1つ目の実験は、様々な就職応募状況における振る舞い方について、2つ目は自叙伝的記憶に関して、それぞれ調査するというもの。
  • 1つ目の実験において、被験者は就職面接のトレーニングとして化学メーカーの就職面接に応募している設定で、その仕事には、コミュニケーション能力や社会性、仕事に対するチーム志向が必要であることが告げられ、仮想面接に臨んだ。面接においては、全ての群に対して、女性の雇用は組織にとって良いことである、という前置きが置かれたうえで、群別に次のようなコメントが与えられた。
    • 非差別群(NS):「採用された女性は、女性と同じように男性とも働くだろうし、これは問題にはならないはずです。というのも、私たちの組織で女性を雇用することの重要性は誰もがよく認識しているからです。」
    • 敵対的差別群(HS):「採用された女性は、女性と同じように男性とも働くだろうし、これは問題にはならないはずです。というのも、私たちの組織で女性を雇用することの重要性は誰もがよく認識しているからです。たとえ、女性は常に特別な便宜を求め、些細なことですぐに腹を立てるとしても。女性が組織で直面する問題を誇張するのは、単に男性よりも権力や支配力を得るためであることが多いのは事実ですが。」
    • 慈悲的差別群(BS):「採用された女性は、女性と同じように男性とも働くだろうし、これは問題にはならないはずです。というのも、私たちの組織で女性を雇用することの重要性は誰もがよく認識しているからです。事実、男性よりも教養があり、身だしなみもきちんとしている女性がいることで、組織は彼女たちのモラルやセンスの良さから恩恵を受けることができます。男性だけが働く環境では、こうした側面は通常欠けているでしょう。」
  • 面接を実施後、被験者は文法と作業記憶を試す Reading Span Test(RST)課題(これも採用要件に含まれると告知済み)に臨んだ。
  • さらに、筆記試験課題中に生じたであろう、性差別や無能感に関する侵襲的考え(intrusive thoughts)に関する質問票(9段階で「全く思い出さなかった」から「何度もよく思い出した」まで)に記入した。質問票の項目は以下のようなものを含む。
    • the feeling of being incompetent: “I feel silly”, “I feel incompetent”, …
    • suppression injunctions: “I must stop thinking that I’ve made a mistake”, “I must stop thinking that I must repeat the words again and again”, …
  • 最後に、参加者は3枚のカード(内容はすべて同じ)のうち1枚を引き、自分が “silly, incompetent, or less smart than others” と感じた状況について思い出せるだけ思い出すよう指示され、それぞれの思い出について、キーワード一つで表現し、書き出すように求められた。

 下に示すのが、筆記試験課題と自叙伝的記憶想起(一番最後のカードを引いて思い出を書き出す課題)の結果です。

 Table 1の正答率(Accuracy)について、対比(BS (2) vs HS and NS (-1, -1) と HS(1) vs NS(-1) )を設定した分散分析をおこなったところ、文法課題、記憶課題ともに有意にならず、また、反応時間については、文法課題、記憶課題ともに、BS vs (HS and NS) の対比において、BSが有意に遅いという結果になったと報告しています。

 この結果についてまず疑問に思うのが、なぜ課題の正答率が下がり、反応速度が遅くなると期待されているのでしょうか、という点です。その理由として、面接中に受けた発言に影響され、課題遂行中に性差別や無能感に関する侵襲的考え(intrusive thoughts)に襲われ、課題の遂行を邪魔される、というメカニズムを著者等は主張しています。

 うーん。無理があるのではないでしょうか。各群の群間差を比較しているということは、同条件であれば各群には差がなく、上述の条件に曝された結果、差が生じたことを証明しようとしているはずです。しかし、各群の人数は15人程度で、そもそもの個人差を消せているようには思えません。RSTの結果には個人差があることが知られていますから、事前にRSTを一度実施して、群間差をできるだけ小さくするように群を編成したならともかく、そのような処置は取られていないようです。そもそも事前にRSTを実施できるのであれば、被験者内実験で事前事後の変化量を算出し、群間で比較する、二要因混合計画で実施すべきでしょうね。つまりは、差が出ようが出まいが、個人差ではないかという指摘に耐えられません。

 また、反応時間について、単位はミリセカンズですから、平均値の差があったとしても2秒以内の差です。被験者はできるだけ早く答えろ、とは教示されていません。したがって、回答時間を長く使う人がいてもおかしくなく、intrusive thoughts に襲われたことを差の原因と主張するのは無理があります。むしろ intrusive thoughts に襲われたのであれば、もっと差がひらいてもおかしくないように思います。

 さらに、RSTは認知負荷が高い二重課題です。文法の正しさの判断と単語の記憶を同時におこなって、80%以上の正答率を保ち、5-7秒程度で回答を続けていけるような状態が、intrusive thoughts に襲われているような状態でしょうか?課題に対してかなり高い集中力を発揮しているような状態でないと、このような良い成績を出せないのではないでしょうか。

 最後の自叙伝的記憶想起課題についても、全く同じことが言えます。カードの内容に対して常日頃から抱えている思いや、まつわるエピソードの量に個人差がある中、単純に想起されたエピソード数で比較しても意味がないでしょう。その証拠に、HS群が最も少ない結果となっていますが、NS群より小さくなるのは説明がつきません。

 質問票の結果は以下のとおりです。

 これも、同じ指摘に耐えられません。すなわち、BS群にはそもそもこのような課題に対して苦手意識を持つ人が多かったのではないか?というような、事前の群間差を消せていないという指摘です。

 この論文では、Discussionのセクションに大きなスペースを割き、やたらと他の先行研究との一致を主張しています。ということは、逆に、先行研究との一致を念頭に置いて実験が実施され、結果が無理やり解釈されたのではという疑念を持ってしまいます。

 さて、そろそろ研修の話に戻ると、まず、研修内で示された発言例は全くこの論文には出てきませんでした。それらは慈悲的差別の一般的な例としての提示だったのかもしれません。であれば、引用した論文とは無関係の例示であることを一言添えるべきかと思います。

 次に、論拠として引用された論文の中身は個人的にはかなり疑わしいものでした。abstractとresult、discussionだけをざっと読んだだけだと、上のような点に疑問を持つことはないかもしれません。ちょっとした引用でも、気をつける必要がありますね。

References

Dumont, M., Sarlet, M., & Dardenne, B. (2010). Be Too Kind to a Woman, She’ll Feel Incompetent: Benevolent Sexism Shifts Self-construal and Autobiographical Memories Toward Incompetence. 545–553. https://doi.org/10.1007/s11199-008-9582-4

Glick, P., & Fiske, S. T. (1996). The Ambivalent Sexism Inventory: Differentiating hostile and benevolent sexism. Journal of Personality and Social Psychology70(3), 491–512. https://doi.org/10.1037/0022-3514.70.3.491

Glick, P., & Fiske, S. T. (1997). Hostile and Benevolent Sexism: Measuring Ambivalent Sexist Attitudes Toward Women. Psychology of Women Quarterly21(1), 119–135. https://doi.org/10.1111/j.1471-6402.1997.tb00104.x

  1. そういえば、つい先日もElon Muskの”DEI kills art”という発言 https://x.com/elonmusk/status/1794019942167191602 が話題になりました ↩︎